1996年 ホロコーストとその証人展



 この年の春には、平和の道具の結成時からのメンバーだった先輩達が卒業され、下級生と新入生になってしまいました。また5月になっても大学祭での展示会のテーマが決まっていませんでした。
そんな矢先、一通の手紙を頂きました。それはナチスのユダヤ人狩りから逃れ、アンネのように隠れ家生活をしておられたユダヤ人エリック・バルクさんからのものでした。氏は日本人の女性と結婚して宝塚に住んでおられました。早速、平和の道具で氏を訪れ体験談をお聞きし、「ホロコーストとその証人展」を大学祭ですることにしました。


会場を訪れたバルクさんは、大変喜んで下さり展示された資料をご覧になり説明してくださいました。

 バルクさんは、1920年ドイツで生まれ、15歳の時にヒットラーのユダヤ人迫害を逃れオランダに移住。オランダが占領されオランダでもユダヤ人狩りが始まり、それから逃れるために1942年から、家族で別れて隠れ家生活を始めたのでした。

 「オランダの地下組織の人々に助けられてではありますが、隠れ家生活は大変苦しいものでした。台所の床下、一人だけ入れる狭い天井裏。一カ所に留まることは捕らえられる可能性が高くなるので、隠れ家を転々としましたが、3年半の間に40回以上も変えました。兄は捕らえられて、収容所で殺され、母は何とか逃げ延びることが出来ましたが、苦しかった隠れ家生活ために戦後すぐに亡くなりました。私は悲しいヨーロッパを一日でも早く出たいと願いアメリカに渡りました。」

バルクさんが隠れ家で書かれた童話「アドヤ」から

「同じ隠れ家に、6歳と10歳の2人の少年を連れた母親がいました。私達は、日中物音立てずに、隠れていなければならなりませんでした。だから、夜中1時間だけ外に出て散歩をしていました。ある時、その子供達が散歩に行ったまま帰ってきませんでした。私はその時、他の隠れ家にいました。そしてこの隠れ家に帰って来たとき、子供達はいませんでした。お母さんは大変深い悲しみに陥っていました。私は彼女の悲しみを癒す為に、またこの悲しい事実を知ってもらう為にもこの童話を書くことにしました。隠れ家で、地下組織の方々に絵の具などを手に入れてもらい書きました。でもその時は、きっとどこか、他の隠れ家で生きているとの希望を持っていました。だから童話ではみんな再会して幸せに暮らすようになっています。でも後でわかったことですが実際は、ナチスに捕まり収容所で、二人とも殺されていたのです。」

 アドヤは、架空の名前で、黄色い斑点のある、緑色で黒い長靴を履いた竜のような怪物。
アドヤの「ア」はペルシャ神話に出てくる悪魔の化身、アーリマンの「ア」。「ド」はドイツの「ド」。「ヤ」はヤーパン、日本の「ヤ」です。当時日本はドイツと同盟国でした。私たち日本人も加害者であることをあらためて思い知らされました。
 

 物語は幸せに暮らしてい子供たちが、アドヤに捕らえられてしまいますが、最後の戦いにアドヤは破れ子供たちは無事助け出され幸せな生活に帰るようになっています。しかし、現実には全くの逆だったのでした。

 1年生が中心でよく頑張りました。スクラム組んでこれからも頑張ります!

【バルクさんのメッセージ】

 その世代に属していた多くの両親や祖父母は、嫉妬、憎悪、強欲、または権力への欲望に支配され、これらのすべてが数えきれない程、多くの人々の死を導く恐ろしい戦争に導きました。
 人間が造り出した破壊の結果、その多くの生存者が現在に至っても苦痛に悩まされ、その苦痛から解放される事が出来ずにいます。オランダ占領時のナチスの迫害を受けたユダヤ人の生存者として、現在の若い世代の人々への私のメッセージは、古い世代の犯した間違った行為から学び取る事です。
 家族や隣人との私達の毎日の生活に於いて、私達皆が、他の国民、人種、または、宗教の違いに寛容であり、尊敬すべく学ばなければなりません。
 各自が絶え間なく、努力する事によってのみ、学び取り、理解できるのです。 私達個人の方法で、より良い平和な世界に貢献出来るのです。



 1993年 アンネ・フランク展
 1994年 ヤヌシュ・コルチャック展
 1995年 アウシュヴィッツに消えていった子供たちの遺作展
 1997年 ハンナ・セネシュ展