ハンナの家族


    父 ベラ・セネシュ(1894−1927.5)

 作家であり劇作家でもあった。若い頃から心臓が悪く、常に死と直面した日々を送っていた。余命いくばくもないと悟っていたベラは、出来る限りたくさんの楽しい思いでを、子供達に作っておいてやろうとした。33歳で死去、この時ハンナ6才。

 母 カテリーナ・セネシュ(1896−1992.4.23)

 結婚して10年もたたないうちに、夫ベラ・セネシュを心臓発作で失い、さらに最愛のハンナをナチスの手によって奪われた心の傷は、生涯彼女の心から消えることはなかった。「(ハンナが亡くなって)40年もたっているのに、私にはまだ私のアニコ(ハンナの愛称)の頬のうるおいを感じ、彼女の心臓の鼓動の音が聞こえてきます。目を閉じると、傷つき前歯を折られ、顔中青アザだらけのハンナの姿が見えるのです。青ざめ、やせ細り、破れた服を着たあの子の姿が…。」ブタペストの監獄で再会したハンナのいとしい姿は母の心に忘れることのできない愛に傷を刻みつけたのであった。カテリーナの部屋は、各国の言葉に訳された何十冊もの「ハンナの日記」や手紙、書類でいっぱいとなり博物館のようであった。1992年4月13日、96歳で死去。

  兄 ジョルジュ・セネシュ(1920−1995.11.30)

 ハンナと一つ違いで大変仲がよかった。フランスの留学し、後にパレスチナに来る。ハンナは特務のために出発する前になって兄がパレスチナにいることを知った。
 これはパラシュート部隊として出発する前日に出会った、二人の最後の出会いの写真である。


【ハンナの友達】

ミルヤム(1919−)

 日記にしばしば登場するナハラル農業学校での一番の友達。ハンナより二つ年上で、しっかり者。同時にナハラルに着き、二人共新参者であったことなどから仲良くなった。ハンナは、「ミルヤムを一番の友達だと思うが、彼女のことを十分に知っていると、言えるかどうかは疑問、なんだか遠い人だと感じたことも、何度かあった。というのは、彼女が自己修練を積んで得た、自制の殻の下には、全く違った彼女がいるからだ」と、日記に記しているが、お互いに良い影響を与え合いながら親しくしていた。現在もイスラエル在住で、ハンナの記念館に来られる方に、ハンナのことを熱ぽっく語る。

【パラシュート部隊の仲間】

ルーベン・ダフネ…ハンナの上官

 使命遂行の計画会議に、パラシューターとして選ばれた特務員達が集まった時に、初めてハンナにあった。ハンナの真剣な姿に感銘を受け、行動を共にする決意をする。そして、パラシュート部隊でユーゴスラビアに降下した後、森の中でハンナと再会し、しばらくは行動を共にしたが、二人共捕まってしまうおそれがあるので、ハンガリーでの再会を約束して別行動をとることにした。有名な「マッチのように」の詩は彼に託された。現在イスラエル在住。

ヨエル・パルジィ

 ハンナと同様に特務をおびて、ハンガリーに潜入したが、すぐにナチスの捕虜となり、ハンナと同じ獄につながれた。しかし、同じ獄であったため、ハンナの最後までの証言が得られた。


ハンナ・セネシュ展    ハンナの生涯と世界の動き