ハンガリーにおけるユダヤ人差別



     ブダペストを行軍するドイツ軍

 第一次世界大戦後、アドルフ・ヒトラーを党首とするナチス(NSDAP=国家社会主義ドイツ労働者党)がドイツに登場した。ヒトラーは、青年時代から反ユダヤ思想を持ち、ドイツが敗北したのも、超インフレを伴う戦後の経済的苦境も、大きな賠償負担もすべて諸悪の根源たるユダヤ人の仕業とした。対ユダヤ策はただ一つ、彼らを駆除して民族を、国家を“浄化”する以外にはないとしてユダヤ人に対する差別と迫害が始まった。この思想は、ヨーロッパ の諸外国にも広まり、特にドイツに占領されていた国々においてはそのことが強かった。ハンナ・セネシュが生まれたハンガリーでは、日常的な迫害と差別はなく、特別ユダヤ人であることを意識することなく、少女時代を送った。
 しかし、1944年ハンガリーがドイツの占領下におかれると同時にユダヤ人差別が始まった。まず、ユダヤ人商店のボイコットが継続するようになり、競技場、プール、レストラン、カフェ、道路などの立ち入りを禁じるサインが方々で出されるようになり、ユダヤ人は教育や法律、医療などの分野からも締め出されて仕事を失った。ユダヤ的な本を焼く、いわゆる焚書も各地で組織的に実施された。そして、最も残酷な迫害であるユダヤ人大虐殺・・・。
 1944年3月、ナチスの軍隊がハンガリーに入ってくるとすぐに“ユダヤ人狩り”が始まった。同年5月14日、アウシュビッツ収容所のガス室に向けたハンガリーからの最初の移送列車が出発した。ユダヤ人は荷物用の駅から貨車に放り込まれ、ドアを釘付けにされたまま、苦しい列車の旅が始まった。ひとつづきの列車に何千人もの人が押し込まれ、食べ物も水もないまま5日間走り続けた。
 このあと列車は全部で148便、43万742人のユダヤ人がアウシュビッツに移送されて虐殺された。戦後ハンガリーに残っているユダヤ人の数はブタペストに住んでいた20万人だけになった。


ハンナ・セネシュ展    シオニズム運動